平民層による門中神拝み

平民層の間でも、古くはノロの司祭する村落祭祀「水撫で」・「浜川拝み」と称する巡拝習俗があった。しかし、ビンシーや重箱などを携行して、団体で5~6日も要する「東御廻り」や「今帰仁上り」などを始めたのは、これまでは明治20年代の末だと推察されていた。ところが、近年、新たに発見された資料等により、平民層による門中拝みはもっと古い時期から始まっていたという見解も発表されている。

1879年(明治12)、琉球王国の解体、廃藩置県後も旧慣温存の政策のもとにおかれていた農村社会でも、1889年には身分による屋敷・家屋・墓などの制限が解禁となる。

こうした世替わりによる自由な雰囲気は農村社会にも浸透していくようになり、平民層の間でも、士族並みの門中祭祀がおこなわれるようになったと思われる。
以上のように、「東御廻り」の聖地巡拝習俗は王府から士族層を経て、さらに平民層に伝えられたと考えられよう。

〔次回 2月16日|東御廻りの順路〕

参考書籍:沖縄の拝所 沖縄の聖地

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