二つの拝所のうちの一つ「上バテンノ嶽」は、神名を「サメガア大ヌシタケツカサの御イベ」といい、尚巴志の祖父・佐銘川(鮫川とも記す)大主が伊平屋から逃れてきて、安住の地としたところだと伝えられている。大主はここに小屋を建てて、漁をして暮らしていたという。
もう一つの拝所「下バテンノ嶽」は神名を「コハツカサノ御イベ」といい、佐銘川大主の子・苗代大比屋(後の尚思紹)の生まれたところだと伝えられている。
いずれの御嶽も、琉球王権と深く結びついた聖地であり、東方の聖地巡拝の重要な霊所となっていた。
現在の6カ所の拝所のある森と道一つへだてた小広場には、瓦葺きの「佐銘川御殿」があり、拝みに訪れる人が後を絶たない。ここはまた、佐銘川大主にちなむ新里集落の拝所でもある。
〔次回 12月28日|佐敷上グスク〕
馬天御嶽 その2
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