ヒーゲーシから守り神へ

村獅子の先がけとなったのは「富盛の大彫石獅子」(旧東風平)、「照屋の石彫獅子」(糸満)、「南風原区の石彫魔除石獅子」(旧大里)の三体だとされている。

富盛の大彫石獅子と照屋の石彫獅子はともに「ヒーゲーシ」や魔よけが目的で設置されたものだということが分かる。しかし、村によっては最高所をわざわざ選んで石獅子を設置したところや複数の石獅子(3体以上も)を設置したところもある。

最高所に設置した石獅子は「ヒーゲーシ」よりむしろ、村内のすべてに目が行き届き、邪悪なものから村人を守護する、いわば「守り神」としての機能が期待されているとされている。また、複数の石獅子を設置した村では、村域内に邪悪なものが侵入するのを阻止する役割が与えられているとされている。

以上のように、当初は「ヒーゲーシ」として設置された村獅子が、全島に広まるにつれてやがて「魔よけ」の役割が付与され、「守り神」としての機能が期待されるように変化していったのであろう。

〔次回 5月13日|石獅子が口を開けるのは何故か〕

参考書籍:沖縄の魔よけとまじない

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