「ジュウルクニチー」(十六日祭)や「シーミー」(清明祭)は、いかにして亡くなった祖先の霊をしのび供養するかをじょうずに教えてくれる。
また「春秋の彼岸祭」や「ジュウグヤ」(十五夜祭)は、神々に対する考え方、自然観をみごとに表現してくれる。さらに「ウマチー」と総称される「稲麦の四大祭」は、王国時代からつづく農耕儀礼をしっかりと伝えているのである。
ただ、一定の形式をもつ儀礼は、無駄を省き、能率的な生活を求める現代人にとっては、カビの生えた何とも古くさい因襲にすぎないと思えるかもしれないが、継承された年中行事は、その時代、その社会のありようをきちんと伝えてくれる文化の一つであることも間違いのない事実なのである。
〔次回 7月13日|家庭の中の年中行事」〕
形式を持った儀式 その2
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