中・南部を中心とした本島地方では、後発の「シ-ミー」(清明祭)を最大の墓前祭として営まれ、ジュールクニチーは徐々に簡素化され、墓前祭としての意義も希薄になってきたようだ。
一方、門中組織がない、あるいは未整備の久米島、粟国、そして両先島地方では現在でもなお依然としてジュールクニチーが最大の墓前祭とされており、後発のシーミーは営まない地域が多く見られる。
那覇のミーグシクや瀬長島の浜は離島出身者の「ウトゥシドゥクル」としてよく知られているが、ジュールクニチーともなれば狭い岩礁が人であふれるほどだ。その風景は那覇の風物詩の一つとされているが、ジュールクニチーに対する彼らの思いがよく伝わってくる情景である。
〔次回 11月9日|「ジュウハチヤ」(十八夜拝み)〕
ジュールクニチー(十六日祭) その2
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