おじぃおばぁが口にする「古くからのならわし、しきたり」なんぞ、因襲にまみれた陋習(ろうしゅう 悪習)にすぎないと切って棄てるのは簡単。ただ切り捨てご免だけでことが済めばよいのだが、そう単純でもない。
おじぃおばぁのみならず、今を生きる我々の世界は、数学のように明快な答えのないものごとが多い。
どれが正しく、どれが正しくないのか。左か右か。上か下かという問答をいくら繰り返してもなかなかラチがあかない。御願の世界はまさにその典型だといえる。そこへもってして、霊能者の考え方が暮らしのすみずみまでゆきわたっている現実がある。
御願という本来ならば神聖な行為が、いつしか手垢にまみれたものとなり、上っ面だけの形式にとらわれ、義務的な行為になってしまっている。
ならわし、しきたりが悪い形の因襲としてはびこり、それに振り回される主婦が悲鳴をあげる。そうなると、御願によって安心(あんじん)を得るというより、心の重しとなって不安をかきたてる。これほど馬鹿げたことはない。
御願にまつわるあれやこれやの話を拾い集め、いらざる不安を取り除き、御願本来の「安心を得る」ための一助となることを願う。
〔次回 7月11日|シンプルに考えよう〕
御願にまつわるあれやこれやの話
参考書籍:
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