線香は「身体から発する不浄な臭いを消し、心身を清める」という意味があるという。
からだに香を塗り、香を焚きあげて体臭を消す習慣が古くからインドにあったとされている。インド人は風呂に入らないという俗説が巷間伝えられている。現代インド人がそうだとは思えないが、古くはそうした習慣があまりなかったのも事実であろう。
このような風習が仏教の中に取り入れられ、線香で身を清めてから仏の供養にあたるという習慣が日本にも定着したようだ。
それでは沖縄のウコーはどうであろうか。
ヒラウコー(クルウコーとも)と呼ばれる県産の島ウコーは、芳しさよりむしろ鼻につく強いにおいと刺激があり、焚きあげると煙が多く出る。
古いインド人のように、沖縄人が香を利用して体臭を消す必要性は小さいわけで、もっぱら「身を清め、仏の供養にあたる」ために焚きあげるものだと理解してもよいだろう。
しかるに、沖縄では焚きあげる線香の芳しさ云々より、その本数に強いこだわりを見せる。その主たる理由は、本数にもっともらしい理由づけがなされ、定められた本数をあげなければ御願が通らないと信じている人が考えられている以上に多いからだ。
言うまでもなく俗説にすぎず、「線香は何本あげるのが正しい」なんてことはない。
線香の本数を決めるのは、一握りの霊能者でも、役所でもない。御願するあなた自身が決めればよいことなのだ。
本数にこだわる前に、よい香りの線香をそなえることが供養につながる。
日頃は霊能者に否定的な見方をする人も、御願となると、やれ12本・3本だの12本だのと本数にこだわりを見せる。
線香は「身を清めて供養にあたる」ために焚きあげるという本質を理解していれば、「何本あげるのが正しい?」という愚問に頭を悩ます必要はない。
〔次回 7月25日|沖縄人の考える 琉球の神々」〕
ウコー(線香)
参考書籍:
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