薮薩御嶽 その2
イビ(聖所)の前方を縁取るのは切り立った崖で、崖下のヤハシバンタと呼称されるところは「仲村渠クルク」とよばれる崖葬古墓群である。現在でもなお、枯骨が散乱している。神名の「タマガイクマガイ」は、崖葬古墓群からことある毎に何らかの予兆を示す「タマガイ」(火の玉)があがったところから命名されたと伝えられている。 歴代の国王も、旧暦の4月の「稲のミシキョマ」(初穂儀礼)に聞得大君らを帯同して薮薩の浦原に入り、脚下の「浜川ヤハラヅカサ」、「潮花司」(スーパナツカサ)、「浜川受水・走水」(ウキンジュ・ハイン … 続きを読む
薮薩御嶽 その1
さやかな浦風にのって聖地・久高へ航行する船が波の花を咲かせる情景を彷彿とさせるのが百名浦の広がる大海原である。 ヤハラツカサ・浜川御嶽・受水走水等々、海浜に点在する聖地を総称して薮薩の浦原といい、開びゃく神アマミキョによって創成されたと伝わっている。 薮薩の浦原にあって、アマミキョの創った七御嶽の一つとされているのが「薮薩御嶽」である。 百名団地背後の雑木の中に討ち棄てられたような二御前のイビがひっそりとある。 御嶽入口より20mほども分け入ると、木立の切れた小広場に最初のイビが見えてくる。 神 … 続きを読む
斉場御嶽 その3 寄満、三庫理
大庫理前をすぎると参道は左右に分かれる。向きを左手にとり、まわり込むように奥に向って進むと、突き当たりに鍾乳石の垂れた巨岩が見えてくる。ここは嶽内の北側の一番奥になる。 巨岩の岩陰に奥行き3m、長さ7mほどの平らな石を敷いた拝だんがある。寄満(ユインチ)とよばれている拝所である。台所を意味する名称だとされているが、実際に台所としての機能を果たしていたという伝承はない。 俗称「馬グヮー石」と呼ばれているように馬形をしたやや白っぽい霊石(ビジュル石)が安置されている。この石の軽重によって、その年の作 … 続きを読む
斉場御嶽 その2 御門から大庫理
参道を進むと、ほどなくして石段に至る。敷き詰められた石は抜け落ちが目立ち歴史の重みを感じさせていたが、近年の修復により往昔の姿をとりもどしている。 2畳敷きほどの石畳の奥に、複数の香炉が置かれた拝所がある。ここが御嶽の入口にあたる「御門口」(ウジョウグチ)である。 もともとは、この御門口より先に展開されている御嶽内へは男子禁制であった。それだから、嶽内の「六御前」とよばれる拝所は、ここで拝む習わしとなっていた。 男子禁制が厳守されていた頃は、山仕事などでやむを得ず嶽内に入る男性は、ここで帯を解い … 続きを読む
斉場御嶽 その1
開びゃく7御嶽の一つ、王朝時代の国王の行事、最高神女である聞得大君の即位式である「御新下り」のおこなわれた霊地としてよく知られ、現在もなお沖縄随一の聖地として人びとの信仰を集め、近年観光名所ともなっている。 通称「セーファーウタキ」とよばれ、神名に「君が嶽主が御イベ」といい、6つのイベ(聖所)がある。 神降り、そして神宿る聖なる杜と謡われ、みずから神境を呈していたと伝えられた御嶽も、戦災とそれにつづく乱伐によって大きく姿を変え、かっての幽玄な雰囲気も損なわれてしまった。 しかし、乱伐された樹木は … 続きを読む
クボウの御嶽素描 その2 春秋2回の例祭
クボウの御嶽のイビの祭祀は「ワカツカサの御イベ」といい、毎年春秋2回、旧暦の5月15日と9月15日に例祭が行われる。 例祭は「大御願」(ウフウグヮン)と称されている。 今帰仁ノロを筆頭にトゥムナハーニーと呼ばれる女性神役以下の各神人と今泊集落の住民たちの参加のもとに「五穀の神をまつり、子孫繁栄」を祈願する。 御嶽の祭場に設けられた拝所の上座にノロ以下の女神官が入り、祭りを始める棟を神に告げる。そして、ノロとトゥムナハーニーだけが頂部のイビまで登って行き、祈願を行う。 イビ前よりトゥムナハーニーノ … 続きを読む
クボウの御嶽素描 その1 イビ
祭場の右後方には、頂部にむかってせり上がるような急峻な斜面に張りめぐらされたロープが見える。参詣者はそのロープをたぐり寄せるようにして頂部のイビをめざす。参詣者が踏みしめた跡が、参道様を成している。 蛇行しながら木と木をつなぐロープを便りに14、5分も登ると、中腹あたりに拝所らしきものが見えてくる。一息つくにはほどよい場所でもある。 本来の拝所ではないのだが、いつの間にか拝み場所となったのであろう、参詣者がうちすてた線香の束が目につく。 頂部近くになっても峻厳さは一向に変わらない。露出する岩はい … 続きを読む
沖縄最大の御嶽「クボウの御嶽」
豊かな自然林がやわらかな稜線をつくる森が、今帰仁グスクの南側にひろがる。 その森の一つが、地元で「ウガーミ」と称され、「久芳嶽」・「久方の嶽」・「コバウの嶽」とも呼称される「クボウの嶽」である。 かつては聖木クバが天を突き、広大な御嶽を守護していたといわれる。 麓に顔をのぞかせた山道を回り込むように10分ほども歩を進めると、御嶽の入口にたどり着く。 入口より10mほども奥に歩をとると、暗褐色の色合いを見せる古木が林立する小広場がある。ここが幽邃(ゆうすい)な雰囲気ただよう御嶽の祭場である。 ヤブ … 続きを読む
安須森散策 その4 チザラとイヘヤ
三連目と四連目の岩山が「チザラ」と「イヘヤ」の嶽である。 古老の伝えるところでは、チザラは女性の乳房に形が似るところから、イヘヤは頂部に立つとはるか洋上に伊平屋島がのぞめるところから命名されたのだという。 両御嶽ともに、地元辺戸の人びとが拝む習慣はないということだが、遠来の参詣者の中には最北端のイヘヤ嶽をめざす人も多いという。 琉球開びゃくの神は、いの一番に安須森を創成したという。 いかなる理由から、このような険阻なところにこうした異形の神降りの地を求めたのであろうか。 道の島づたいに琉球の地を … 続きを読む
安須森散策 その3 聖地アフリ
黄金洞(フガニガマ)の拝所のあるシノクセ(宜野久瀬嶽)に接続する岩山が、もう一つの聖地とも称される「アフリ嶽」のあるアフリである。 頂部の岩が折り重なるあたりを地元では「ウネガラシ」とよび、拝所がアフリ嶽の御嶽である。 『琉球国由来記』に記された「アオイの御嶽」のことで、神名は「カンナカナノ音イベ」という。 『琉球国由来記』には次のようなことが記されている。 昔君真物が出現するときには、今帰仁間切のアフリハナ(今帰仁村在のスチムナ御嶽)に冷傘が立ち、そしてコバウノ嶽(今帰仁村在のクボウの御嶽)に … 続きを読む