タグ別アーカイブ: ウグヮンブスク
シジタダシ その7
沖縄には死者の霊は、生きている人の運命を左右する力があるとする観念がある。それだから、死者の霊を慰め、供養することを何よりもたいせつにする。 ところが誤って継承されたトートーメーをそのままにしておいて、いくら熱心に御願しても、いくら豪華な供物をそなえても、それは「とおらない御願」になってしまい、祖先にはとどかないと考えられている。したがって、祖先は常に「ウグヮンブスク」の状態にあるということになる。 子孫が病気になったり、家が繁昌しなかったり、商売がうまくいかないのも、ウグヮンブスクの状態にある … 続きを読む
ウグヮンブスクと成仏
浮かばれない霊を慰め、悟りを開かせ、成仏できるようにする最善の方法が「ウグヮン」(御願)だとするのがユタ社会における基本的な考え方である。 成仏できないもっとも大きな原因が、死者の霊に対する慰めや供養が十分にできていない、あるいは行き届かないために起こる「ウグヮンブスク」だというのである。 慰めや供養が十分にできていないということは容易に理解できよう。チィタチ・ジュウグニチにウチャトゥの一杯もあげない、節々の行事に線香の一本もあげないようでは慰めにも供養にもならないだろう。よく分からないのが慰め … 続きを読む
参考書籍:
10 「ウグヮンブスク」(御願不足)
愛すべき子孫に、たとえ「シラシ」だとしても、災厄をもたらす祖先の霊なんてものがあるはずもないというのが、世間一般の人びとの考える常識だといえよう。 ところが、子孫から十分な慰めや供養を受けられないとしたら、祖先の霊から供養の催促があったとしても不思議なことではない。 このように、供養を十分に受けられない祖先の霊や、儀礼的な手続きをきちんと受けていない霊などは、成仏したくても成仏できずにただよいさまよっている(浮遊霊)ことになる。 このような浮かばれない霊を慰め、悟りを得させ、成仏できるようにする … 続きを読む
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8 「タタリ」(祟り)
カミダーリは、カミや祖先の霊からサーダカンマリの人に与えられる一つの試練だと、ユタの世界では受け止められている。 それだから、カミダーリはカミや祖先の霊からの一方的な働きかけによって起こるとされている。したがって、自ら望んでカミダーリ状態になることもできないし、逆に、それを拒否することもできないというのも、十分に説得力を持ち、宿命だというのもうなずけるのである。 このような理由から、サーダカンマリは「神の祟り」だとする考え方が出てくるのも、理解できるわけだ。それと同時に、サーダカンマリになる主た … 続きを読む
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ユタってなに?
沖縄社会がユタにむける目は両極端に分かれる。憎悪の目と好意的な目だ。 憎悪の目は、「ユタムヌイー」ということばに象徴されるように、「嘘八百を並べたて、人の不安をかきたてる」だけのフラチな者であり、悪らつな拝金主義者という評価につながっている。 好意的な目は「沖縄社会のカウンセラー的な役割を果たし、かつ信仰生活の確信をなす「祖先崇拝の維持者」という評価につながっている。 こうした、全く相反した評価にさらされているのがユタである。 憎悪の目でみたユタとは、 ●ユタの言う通り、多額の費用を使って方々の … 続きを読む
参考書籍:琉球風水 福を招く家づくり墓づくり