シーサーのルーツ その2
墓の袖垣に石筆を立てて、その獅子像を設置するのは中国人の墓制にならったものだとされている。先回紹介した玉陵の東西の石彫獅子の設置は、まさに中国の墓制に倣ったものであろう。また、中国の獅子像は貴族の墓陵や仏寺を守る守護神として設置されているという。 これらのことを考え合わせると、沖縄の獅子像設置の習俗は中国から導入されたものだということが理解できる。 王家を中心とした貴族層に受容された獅子像設置の習俗は、当初は民衆に浸透するまでにはいたらなかったようだ。ただそれは当然のことで、権力とは無縁の一般民 … 続きを読む
参考書籍:沖縄の魔よけとまじない
シーサーのルーツ その1
沖縄人が今日でも愛してやまない「シーサー」を設置する習俗は、残念ながら沖縄が起源となったものではない。 そのルーツをたどる前に、沖縄の古い獅子像を見ていくことにする。 首里城の瑞泉門・歓会門(1470年頃創建)の一対の獅子像、玉陵(1501年頃創建)の東西の彫獅子、末吉道(1456年頃創建)の一対の石獅子、沖縄ようどれの左右一対の石獅子などがよく知られているが、そのうち現存するのが玉陵(一部修復)、末吉宮は一体のみ(博物館)、浦添ようどれは左側の石獅子のみである。 これらの石獅子は、ほとんどは1 … 続きを読む
参考書籍:沖縄の魔よけとまじない
シーサー
絵画などで見る沖縄の代表的な民家は屋根獅子の乗った赤瓦であろう。屋根獅子とはいえ「獅子」と称するぐらいだから、そのモデルとなったのは「ライオン」であろうぐらいはおおよそ察しがつく。しかし、沖縄にライオンが生息していたという記録もなければ、そういった事実もないだろう。 それでは何故に、今日現在でもなお沖縄ではそれほどまでに獅子像がもてはやされるのであろうか。 沖縄人ほど自然石を崇拝する民族はほかにないのでは、と思えるほど深い信仰をささげてきた。 「ビジュル」(霊石)がそうであるし、ヒヌカンも古式の … 続きを読む
参考書籍:沖縄の魔よけとまじない
味わい深い石敢當 その3
中国から久米村に伝えられた石敢當造立の習俗をいち早く取り入れたとされる首里には、新旧おりまぜた石敢當が数多く見られる。 旧松山御殿(首里桃原)の石垣塀の一角にきっちりはめ込まれた石敢當がある。中央正面を除いてはツル草におおわれ、文字の判読もままならないが、上部に記号らしきものが刻まれ、中央に三文字(右字)が彫られている。刻字は書家としても知られた尚順(尚泰王の四男)の筆になるものだということだが、堂々たる筆跡は今なお味わい深い。 首里当蔵の民家のT字路になっている角に、高さ1m強もある堂々とした … 続きを読む
参考書籍:沖縄の魔よけとまじない
味わい深い石敢當 その2
北中城村熱田集落に見られる石づくりの石敢當の多くは、正面中央に「山石敢當」と刻まれている。 明らかに「泰山」の「泰」の文字だけを削り取った跡が見てとれる。 その理由は、尚泰久王(第2尚氏王統19代)の即位に際して、「泰」の文字の使用がはばかられたという説明がなされている。その説に従えば、これらの石敢當の造立年代は、当然尚泰久王即位(1848年)より前ということになる。 160年の歴史を有していることになるわけだ。 風化がすすみ、刻まれた文字の判読もままならないものもあるが、風雪に耐えた重みを感じ … 続きを読む
参考書籍:沖縄の魔よけとまじない
味わい深い石敢當 その1
名護市汀間の一軒の民家に、堂々たる石づくりの古い石敢當が二基立てられている。 ともに、石の頭の部分を角丸に仕上げた高さ1m強もあるりっぱなものだ。上に「泰山」と横書きに刻み、その下にケイ線を引き、正面中央に「石敢當」と彫り刻まれている。 同じ汀間の民家の四辻の角に、一見無字の石敢當と見える石碑が立っている。 付近では「無字の石敢當」だろうと言われてきたようだが、どうやら風化がすすんで、文字の確認が難しいほど摩滅したのが原因であろう。 もう一つ、汀間集落の路傍にやや変形のサンゴ石灰岩の石敢當がある … 続きを読む
参考書籍:沖縄の魔よけとまじない
おもしろ石敢當 その6 いっぷう変わった石敢當
石敢當の文字の上に横書きで「不動」の文字を刻んだものが中城村北浜にある。「不動」の意味は「不動明王」のことなのか「フール」の神のことなのかは不明だが、サンジンソウの指示で刻んだという。 北中城村熱田集落は一見して古い造立だと思える石造りの石敢當が数多く存在しているが、中でも「二人泰山」と石の頂部に刻み込まれた石敢當はいっぷう変わっている。石敢當が二人いるから、より強力だという。ここでは「石敢當」は人名だと伝承されているようだ。 沖縄市知花には「石當放」(いしとうほう)と刻み込まれた細粒砂岩の石碑 … 続きを読む
参考書籍:沖縄の魔よけとまじない
おもしろ石敢當 その5 文字のない石敢當
古来より沖縄には道のつき当たるところはよくないところとされてきた。 「ヤナカジ・シタナカジ」と表現される悪鬼や悪霊、妖怪どもは、道を直進して、そのつき当たるところにたむろすると考えられてきたのである。行き場を失ったこれらの悪い気がただよいよどむところは、当然のことよくないところとされてきたわけだ。 このような場所は「ヤナカジゲーシ」(悪風返し)をする必要があるとされてきた。そのヤナカジゲーシの役目を果たしたのが、当初は文字のない自然石であった。その名残りをとどめているのが「文字のない石敢當」と … 続きを読む
参考書籍:沖縄の魔よけとまじない
おもしろ石敢當 その4 イ点のある石敢當
本部町浦崎の民家の屋敷囲いの石垣に、かなり大きな「泰山石敢當」がはめ込まれている。 戦前からあったというのだが、造立した年代は不明。一部に修復したとは見られるものの、ほぼ完全な形で残されている。 よく注意してみると、石敢當の上部に「冫く」という記号が刻み込まれているのが分かる。 記号は「イ点」あるいは「似字点」ともよばれているもので、いっさいのものの根源」という意味があるという。 同記号にはその他いろいろな意味があるともされている。専門家によれば、仏教的な意味合いが強い「イ点」が石敢當の冒頭に刻 … 続きを読む
参考書籍:沖縄の魔よけとまじない
おもしろ石敢當 その3 梵字の石敢當
沖縄の人が、特別梵字に造詣が深いとは耳にしたことはないが、いかなる理由からか梵字の石敢當が全島的に点在している。 本島だけでも豊見城市、南風原町、西原町、北中城村、うるま市、読谷村、本部町などに現存している。 梵字のみが刻まれた石敢當と、石敢當の三文字の上部か下部に梵字が刻み込まれた石敢當の二つに大別される。 梵字のみの石敢當としてよく知られているのは、北中城村島袋、熱田、豊見城市豊見城にある石敢當である。 いずれも「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」の五文字が刻まれている。よく知られているように、アビラ … 続きを読む
参考書籍:沖縄の魔よけとまじない