ユタは学習するのか

カミダーリ状態に入った者は、盛んにユタヌヤー通いをする。
そしてユタやウグヮンサーをともなって沖縄中の拝所に御願を入れる。いわゆる「ウグヮンマーイ」(拝所巡拝)をするのである。それは、ユタになるための一種の修行ともなれば、実践をともなった学習ともなる。そのことを世人はしばしば「ユタの学校」などとヤユする。

こうした経験が、将来ユタとなって依頼者の求めに応じてハンジ(判示・判断)を出す際の大きな力となっていることは間違いない。実践を通して学習しているわけだ。
しかし、ユタの多くはこうした学習を認めたがらない。もしそれを認めるのなら、学習すればだれでもユタになれるという理屈が成り立ってしまう危険性があるからだ。また、学習だけに頼ってユタ稼業をする者を「ナライユタ」(習いユタ)と蔑称して、明確な線引きをしたがる。

ユタグトゥのすべては、カミから与えられたものであり、カミから選ばれた者のみが成し得るワザだとする意識が強いのである。

〔次回 10月15日|祟り〕

参考書籍:

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