シーサーのルーツ その1
沖縄人が今日でも愛してやまない「シーサー」を設置する習俗は、残念ながら沖縄が起源となったものではない。 そのルーツをたどる前に、沖縄の古い獅子像を見ていくことにする。 首里城の瑞泉門・歓会門(1470年頃創建)の一対の獅子像、玉陵(1501年頃創建)の東西の彫獅子、末吉道(1456年頃創建)の一対の石獅子、沖縄ようどれの左右一対の石獅子などがよく知られているが、そのうち現存するのが玉陵(一部修復)、末吉宮は一体のみ(博物館)、浦添ようどれは左側の石獅子のみである。 これらの石獅子は、ほとんどは15世紀ごろ製作されたものだと考えられているが、製作者は明確ではない。沖縄人の石工かあるいは中国人の石工の手になるものなのか、謎のままである。 いずれにしても、このような墓陵や寺社に設置された石獅子は聖なる地を守るための「守護神」とされているが、時の権力者の権威を示す象徴としての意味ももちろんあったのだろう。 ともあれ、これらの習俗の発信源をたどれば、沖縄の獅子がどこからやってきたのかが分かるということになる。 〔次回 1月14日|シーサーのルーツ その2〕