言うまでもないことだが、位牌祭祀がなければ、位牌にまつわる習俗もタブーも生まれようがない。
沖縄人がしばしば口にする「トートーメー問題は昔から」というのも、当然、位牌祭祀が受容されてから以降ということになり、それほど歴史の古い話ではない。民俗としては新しい部類に入るのだろう。
廃藩置県(1879年)の前の王府の役人(官人層)の間でも、財産を相続しトートーメーを継ぐのは特別の事情がない限り嫡男であったようだ。これだけを見ると現代の沖縄とそう大きく変わるものではない。
ところが、跡を継ぐ男子がいない場合、母方や妻方の中からイーフェーの継承者を選ぶケースもあったようだし、また入り婿になった者を継承者として認めることもあったようだ。現在では「タチーマジクイ」や「イナググヮンス」のタブーに触れることになり、禁じられている地域が多い。
また、農村(百姓)の場合、地方役人層や一部例外をのぞいて私有地の所有は認められていなかった。したがって、現在のように財産をイーフェーとセットにして相続させるという考え方は、それほど絶対的なものではなかった。
それらのことを考え合わせると、イーフェーの祀り方や継ぎ方にかかわる「トートーメー問題」が発生したのは、財産とイーフェーがセットとして継承されるようになってから以降のことだと考えられる。
〔次回 4月16日|トートーメー継承のルールとタブー〕
トートーメー問題の発生 その2
参考書籍:
カテゴリー: ユタグトゥ(ユタ稼業)
タグ: イナググヮンス, タチーマジクイ
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