イーフェーの継承と財産の相続

トートーメーの継承と財産の相続が表裏一体のものとして語られるようになったのは、いったいいつの時代のことであろうか。わずらわしいのだが、歴史を少しばかり振り返ってみる。

1879年、俗にいうところの琉球処分が断行され、沖縄県が設置された。ところが沖縄県発足直後は、沖縄県の特殊事情を理由に本土並みの改革に着手しようとしなかった(旧慣温存策)明治政府も、1896年から沖縄県の改革に手をうちはじめる。

旧慣温存策のひとつとして改革がすえおかれていた土地制度を改正するために、土地整理が開始される。一見、トートーメーの継承とは無関係と思えるのだが、このことが「トートーメーには財産はつきもの」だとする考え方を定着させる要因となる。

土地制度の改正により、それまでの村落単位の土地共有制(地割制)が廃止され、土地の私有地化が認められるようになる。共有財産であった土地が私有財産として認められることになったわけだ。
そうなると、一般の人びとも土地は財産としてみるようになり、トートーメーの継承と財産の相続は一体化したものとみなされる風潮ががぜん強くなっていった。

〔次回 5月14日|シジタダシとウグヮンマーイ〕

参考書籍:

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