タグ別アーカイブ: 東御廻り

平民層による門中神拝み

平民層の間でも、古くはノロの司祭する村落祭祀「水撫で」・「浜川拝み」と称する巡拝習俗があった。しかし、ビンシーや重箱などを携行して、団体で5~6日も要する「東御廻り」や「今帰仁上り」などを始めたのは、これまでは明治20年代の末だと推察されていた。ところが、近年、新たに発見された資料等により、平民層による門中拝みはもっと古い時期から始まっていたという見解も発表されている。 1879年(明治12)、琉球王国の解体、廃藩置県後も旧慣温存の政策のもとにおかれていた農村社会でも、1889年には身分による屋 … 続きを読む

参考書籍:沖縄の拝所 沖縄の聖地

カテゴリー: 御願めぐり | タグ: , , , |

士族層による門中神拝み

士族層による門中組織の形成は、1689年士族の家譜(系図)の作成管理にあたる系図座の創設が一層の拍車をかけたというのはよく知られている。 士族門中による神拝みは、首里三平等(みひら)に集結した三山の遺臣たちによる祖先祭祀が始まりとされ、3年廻り(2年おき)、5年廻り(4年おき)、7年廻り(6年おき)などと称されるように年期を定めて実施されていた。 こうしたなかで、東方の聖域空間を国主自ら巡拝することに端を発したとされる神拝み(東世御廻り)をモデルとして、これを模倣する形で自らの門中祭祀に取り入れ … 続きを読む

参考書籍:沖縄の拝所 沖縄の聖地

カテゴリー: 御願めぐり | タグ: , |

東御廻り その2 東四間切への巡拝

古く「太陽が穴」に隣接すると考えられていた知念・玉城・佐敷・大里(現与那原を含む)の旧四町村を東四間切また東方と称した。 時の国王は聞得大君、司雲上らをともなって隔年一次(一年おき交互)に2月の麦のシキョマ(初穂儀礼)には久高島へ、4月の稲のシキョマには東方の井泉や御嶽などを巡拝して、国土の安泰と五穀の豊穣を祈願した。これが後の「東御廻り」の原型となったとされている。 東方(前記の四町村)に点在する聖域空間を国王自ら巡拝することに端を発した習俗といえ、「東世御廻り」とも称される所以でもあろう。 … 続きを読む

参考書籍:沖縄の拝所 沖縄の聖地

カテゴリー: 御願めぐり | タグ: , , |