シンプルに考えよう

御願というものは、「ウヤファーフジ(祖霊)や身の回りに宿る神々に手をすり合わせて祈る沖縄人の素朴な信仰心のあらわれ」であり、形式にこだわらない「心からの祈り」であったはずだ。

このことは「ミーマンティ ウタビミソーリ」(見守ってください)と、乞い願う主婦の祈る姿にみごとに映し出されているといえよう。
我々沖縄人の信仰する神々は、ご説ごもっともな教えをたれることはないし、ウヤファーフジは人間の功徳をあれやこれやと説き明かすこともしない。ひたすら祈れば、耳をそば立ててひたすらに聞いてくれるだけだ。

世の宗教のように提唱者もいなければ、息苦しい教義も無用の世界なのである。
だから、心のおもむくままに祈り、乞い願うことがすべてだと言ってもよい。

満月に祈り、新月に祈る。そこに神霊が宿っているから、それだけで十分であろう。
トートーメーに手をすり合わせて祈る。そこにウヤファーフジの霊が宿りクヮッウマガを見守ってくれるから。感謝と守護を乞い願う。それだけで十分に事足りる。
そこには霊能力者がつけ入る余地はない。形式にこだわる理由などない。

〔次回 7月18日|ウコー(線香)〕

参考書籍:

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